ことを認議し反省すればともかく相手船の判断および行動を不当なものとし、危険な状況の発生を相手船のせいにすることによって自らの判断および行動を正当化すれば、これらの判断および行動は正しいものとして認識され知識、経験として蓄積されていく可能性がある。
このような経験が操り返されれば、本来是正されなければならない誤った判断基準は、船員にとって正しいものとしてますます強固なものになっていくことが考えられる。このようにして蓄積された判断基準に基づく行動は、状況の認識と実際に起きる事象との間の食い違いを増大させ事故に発展する可能性を持っていると考えられる。いうなれば、船員が正しいものとして持っている判断基準の中に事故を発生させる要因があることも考慮する必要があるということである。
表3から表5(五月号参照)の例にみるように「相手船が避ける」という一方の判断に対し、十数項の相手方の判断が対応している。いずれの判断についても操船者は状況に見合った正しい判断をしたという認識であろう。このようにさまざまな判断が交錯しているのは、それぞれの操船者の判断基準が一様でないことからくると思われるし、相手船との相対関係に衝突の危険はないという判断は、これまでに数々の見合い関係を処理してきた経験に基づき形成された判断基準によるものと考えられることから、先に述べたような判断基準についての考え方も一因となるのではないかと考える。
このようにみてくると、冒頭に呈した疑問に対しては、プロフェッショナルである船員がなぜこのような判断をし、行動するのかという見方ではなく、プロフェッショナルであるが故にこのような判断をし行動するという見方に立って衝突防止対策等を検討していくのが実情に合っているのではないかと思われる。
飛躍した結論かもしれないが、船員が乗船する船舶、航行する海域等によって異なる条件のもとでそれぞれが経験を積み判断基準を形成していく実態から見る限り、操船者相互の判断の差異をなくすことは困難であり、また、それぞれの操船者の経験により培われた判断基準によって衝突の危険の有無が判断され、注意が相手船から離れるのを防ぐ方法はない。
従って、衝突防止対策として、操船者の技能向上とか意識改善に主眼をおく方法には限界があり、衝突予防装置等機械的な補助手段を充実させ、操船者の衝突の危険に対する判断能力を補完することに意を注ぐべきと考える。
六、おわりに
プロフェッショナルである船員のみが参加する海上交通で、操船者の人為的要因に負うところが多いとされる衝突海難がなぜもっと減らせないのかという従来からの疑問について、操船者の判断および注意の事例をもとに推論してみた。
個々の衝突海難の事例をみると単純なミスによって発生しているように見えるものが多い。事故の分析においても「ちょっと注意をすれば」とか「初歩的なミス」といった評価がなされることが多いが、人間の心理および行動といった面からみれば問題はそう簡単ではないように思う。
現状では、国内外とも統合ブリッジシステムの名のもとに航海支援装置の開発が進められており、これを搭載する船舶も増えていると聞く。これらの装置による衝突防止効果に注目するところである。
(完)
引用および参者文献
1. 海難審判の現況(平成七年版、海難審判片)
2. 海上保安の現況(平成七年版海上保安庁)
3. 海難審判裁決録(昭和六〇、六一、六二、六三、平成元年分、海難審判協会)
4. 事故予防の行動科学(三隅二不二ほか編、福村出版)
5. 安全運転に必要な危険予知(長山泰久、自動車技術 VOL四七 NO九 一九九三)
6. 交通をめぐる意識と行動(鈴木春男、自動車技術VOL四八NO一 一九九四)
7. ヒューマンエラーの発生要因と防止法(竹内常雄、日本舶用役関学会誌 第二九巻 第九五号)ほか。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ